母の膀胱に癌細胞が見つかった。


親不孝と思われるかも知れないが、


報せを受けてもさほど動揺しない。


むしろ、そうだろうぐらいに思った。




日本人は、三大疾病で一日に二千人死ぬ。


70近い母なら、癌の発病ぐらいありえる話だと思ったのだ。


ちなみに当人はピンピンしており、


医者から酒を止められてプンプンしている。






久しく会っていない。


コロナと、猫というのが大きな理由だ。


あと、人生の半分以上を実家から離れて生きてきた。


多少疲れる、というのもある。






そんなわけで、癌の告知を受けた母は


どんな様子かなと思ってテレビ電話をしてみた。





元気そうだった。


悪性の腫瘍が体内で見つかったとはいえ、


見つかりたての人間はこんなものか。


精神面まではわからない。


人間は心のうちに蠢く感情を数値化して


表出させられないものだ。


推し量ったところで、正しいかもわからない。






僕が母に伝えたことはひとつ。


『死に方を考えときなよ』


ということだ。



いささか表現が直接的だったかもしれない。



ただ、親子間で死生観を語るときに


オブラートに包む物言いは意味をなさない。と感じる。




やりたいことをやれ。


死にたい死に方をしろ。


そういうことを伝えた。


死について直接的な言葉を使えるから親子なのだ。


繰り返すが、当人はピンピンしている。






ニュースで著名人が自殺するたびに、


関係者が批判的なコメントをする。


命を粗末にするなとか


間違った選択だとか。



死生観は人それぞれだと思うが、


僕は自死の否定に疑問が涌く。


自分の権利を行使するときに


他人の価値観に寄り添う必要があるのかな。


なんて思うわけだ。



死に方を選ぶというのは、人間に与えられた権利だと思うからだ。



成人に与えられた選挙権みたいなものだ。


その権利は自由に使えば良い。


別に自殺しろと言っているわけではない。


人間は生まれ方を選ぶことは出来ないが


死に方は選べるよ、という話だ。


しつこいようだが母はピンピンしており、


あと20年生きる可能性も十二分にある。








病院で死にたいのか、家で死にたいのか。


なるべく延命治療してほしいのか、そうでないのか。


最後の最後まで頑張りたいのか、早めに終えたいのか。


例えば役者なら「板の上で死にたい」とか。


ギリギリまで仕事をしていたいとか。


酒やタバコを我慢したくないとか


そういうの、なんかあるだろと思うのだ。


ちなみに僕が癌になったら、


治療の初日からモルヒネをガンガン打って欲しい。


痛いのは嫌だし、現実よりも浅い夢を見ていたい。









母はスコッチ・ウイスキーが好きだ。


病に犯されているが「スコットランドにいきたい」と言う。


体が自由に動かせるうちに行ければ良い。


スコットランドの見納めをしてくるのだ。


でも何かの都合で行けなかったり


急に病気が進行したらどうだろう。


そういうのを想定しておく必要があるはずだ。





今際の際になったとき


どんな無理をしてでも体を飛行機に乗せて


スコットランドに届ければ良い。


現地の土を踏ませ、風を吸わせれば良い。


なんだったら口を開けてウイスキーを流し込めば良いのだ。


漏斗かなにかで流し込むのか、


ハンカチに染み込ませて口を拭くぐらいとか。


そういうことを自分好みで決めておけ、という話だ。


自分が満足する。それが大事なのだ。



死について真面目に考えるということは、


命を粗末にしないということだ。




瀕死の人間にアルコールを与えれば


それが原因で死ぬかも知れないが、


そもそも死にに来たのだ。文句は言わないだろう。




そんなことして通夜や葬式がどうなるかは知らない。


なんならアルコールを与えた人間が罪に問われるかも知れない。



だがそんなこと、どうでも良いのだ。




本人が満足するなら良いじゃないか。


権利を行使したに過ぎないのだから。


細かいことは、どうだって良いのだ。


自分の人生なんだから、使いたいように使えばいい。


お母さん、好きなようにするんだよ。






Add Comments

名前
 
  絵文字