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自分の頭で考えろよ、と。









アホに付き合わされた三年だった。


日本国内におけるコロナ対応の話だ。





僕の考え方がおかしいとは思わないが、


僕の考え方は日本人の大多数と違う。


ということは(少なくとも日本国内において)


アホは僕ということになり、


おかしいのは僕なのだ。


そう前提しておく必要を感じる。







コロナが日本にやってきたとき、


たしか横浜あたりに感染者を乗せたクルーズ船がやってきた。


この船は、ろくに検査もしないまま客を下ろし、


隔離することなく追跡も拘束もすることなく


乗船者を野放しにした。




この時点で


(俺もいつか感染するな)


と思ったし、


(場合によっては死ぬな)


と思った。







群れで生活する人間は、感染症に弱いと思ったからだ。





たしか中学の理科の先生が言っていた。


「今は人間が地球を支配しているけど


百年後はウイルスが支配しているかもしれない」


先生はたしかそんなことを言っていた。


当時はその意味がよくわからなかったけど


わからないなりに、心の中の弁やしこりみたいに


人間とウィルスの関係について、ずっと心に残っていた。



そこに横浜からコロナがやってきた。


(ああ、これか。)


そんなふうに思った。





映画『アウトブレイク』のモターバ・ウィルスほどではないにせよ


それなりに人を殺すウィルス。


これが首都圏に入った時点で


明日自分が死んでも不思議はないなと思った。




群れで暮らすことを好む人間が、感染症から逃れようとするのが


ナンセンス。


そんなふうに思った。


人間の死因は色々とあるのに、感染症で死ぬことを嫌がる。


他人に感染させることを嫌がる。


そこがわからなかった。


報道される数字も


僕が思ったほどバタバタ死なない致死率。


なぜそんなに嫌がるの?


そこがわからなかった。


高齢者の皆さん、


明日脳卒中で死ぬかも知れませんよ


と言いたかった。









感染症が嫌なら、他人に感染させたくないなら


山奥でひっそりと暮らせば良い。


それで解決するだろう。


それができないなら、感染を受け入れて


普通に暮らしたほうが良いんじゃないですか、


というのが日本国内でアホになる僕の考え方。


山奥でひっそりと、というのは


僕が考える人間の暮らし方ではない。







僕はひとり暮らしなので特にそう思うんだけど


家でマスクを外して

トイレや風呂を共有して

家族でテーブルを囲んで


感染対策できますか?


なんて思ってた。



なにより家族に感染させちゃいかんでしょ


と思ってた。




突っ込んだことを言えば


濃厚接触を禁じられていて


セックスはどうするんですか?


なんて思っていた。




それでも隣の衛生病院では、毎日子供が産まれている。


あなた方、感染対策しましたか?


なんて思うわけだ。





もちろん、出産したカップルを責めるつもりは毛頭ない。


それで良いんだ。


それが人間なのだ。


人間らしさを失って、いつまで生活するんですか?


というのが、この三年間の疑問。


セックスはするけど、


感染はしない・させない


という姿勢に大きな矛盾を感じる。











家でもマスク外しません、なんて人には会ったことがない。



なんでか。



人間は衣服を脱ぎはしないけど、


マスクは外したい生き物だからだ。



怠惰で利己的な生き物である人間にとって


マスクは人間の本能のありかたに直結するアイテムだからだ。






最近になってようやく


日本政府は屋外で会話を伴わないなら


必ずしもマスクをする必要はない、と見解を発表した。




この発表を受けても日本人はマスクを外さない。


恐らく、他人の視線を気にして。




外したくない人は、それで良い。


外したいなら外せよ、と思う。


つける必要があるのか


外しても良いのか、


自分の頭で考えれば良いのにと思う。





そもそも日本人はマスクの着用義務を課されたことがなく


ずーーーっと個人の裁量に任されている。












猪木がなにも言わないからだ。


そんなふうに思う。


枕が長くなったが、ここから本題だ。





2002年の札幌。


当時の新日本プロレスは、総合格闘技の隆盛を


モロに受けて低迷していた。





プロレスはこれからどうなるのか。


そんなふうにレスラーもファンも思ったことだろう。


そんな札幌大会の試合後に


猪木がリングに上がり、マイクを渡された。





前述したような迷いを抱えた若手レスラー、鈴木健想は、


自身の抱える不安を猪木に直訴した。







「僕は明るい未来が見えません!」








当然ともいえる不安だ。




レスラーとして食っていけるのか


これからもプロレスは日本に存在し続けるのか。


時代は総合格闘技。


閉塞した環境で若者が抱える、当然の不安だ。


迷える子羊だ。





僕にはこの鈴木健想が、マスクをする日本人に見える。


外していいのか悪いのか。


プロレスを引退して転職したほうがいいのか?


どうやってその答えを見つければいいのか??


鈴木健想とコロナに翻弄される日本人が重なった。






猪木の答えは明確だった。




















見つけろ、テメエで













そうだよなぁ。




なんて思ったもです。


ただ、会場は爆笑。


僕も爆笑。






誰に強制されたわけでもない自分の生き方は


自分で描きたいように描けば良いのだ。






なかなかマスクを外せない日本人に伝えたい。猪木の言葉。



マスクを外して良いのか悪いのか。


その答えは







見つけろ、テメエで!!

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