
毎日ラジオを聴いている。
主にj-wave、ニッポン放送、そしてtbsラジオだ。
毎日聴いていると、ひとつ脳味噌にこびりつくことがある。
それはラジオcm。
内容はもちろん、流れる順番まで把握してしまっている。
2時間の番組内で、どのcmがどのタイミングで流れるか
完璧に頭に入っているのだ。
ラジオcmはテレビのそれほど、バリエーションに富んでいるわけではない。
(またこのcmか)
というのを一日中繰り返す。
恐らく僕以外の多くのラジオリスナーも
同じような感覚でいると思う。
最近でいうとフジマキリョウタなる人物が
野外音楽フェスを開催して、皆さんと音楽でひとつになりたがっている。
フジマキリョウタが何者か知らないが、
音楽で皆さんとひとつになりたがる男ということだけは
ラジオリスナーなら知っている。
あと哀川翔が『大昆虫展』でカブトムシを観にきてと繰り返している。
そしてクニヤマハセン。
この男も何者か知らないが、
「sdgsで地球を笑顔に」
などと言っている。
またアホが炙り出された。
Sdgs。持続可能な開発目標、ということらしい。
僕なりの結論からいえば、こんなものすぐ消える。
Sdgsという言葉自体が持続不可能なのだ。
来年には消えている言葉だ。
差別や貧困をなくそうとか、
環境がどうこうとか、
人間はそんなものに気をつかえない。
差別や貧困などあって当たり前だし、
これからもなくならない。
例えばジェフ・ベゾスが貧富の格差に心を痛めて
全ての財産を困窮する人々にばらまくだろうか。
するわけない。
これをなくそうというのが不自然で、
この目標に人間らしさを感じない。
こんな崇高な目標に向かっていけるほど
人間という生き物は高貴でないのだ。
人間というのは自分の半径数メートルが快適なら
それで満足できる生き物であり、
たとえば日本から見れば遠いアフリカの地で紛争があって
食べ物に困っているひとが百万人いようが
日本人の心は痛まない。
ソマリアの内戦で、いてもたっても居られず
支援物資を送りました、なんていう日本人には会ったことがない。
そもそも多くの日本人は、ソマリアで内戦があったことすら知らない。
環境にしても、
たかが人間の行動ひとつで地球を笑顔にしよう、
というのが傲慢だ。
自分達をなんだと思っているのか。
地球46億年の歴史の中で、
たまたまこの数百万年覇権を取ったと勘違いしているだけではないか。
覇権なんかとっちゃいない。
政治家や芸能人と一緒で、握ったマイクが多少他より大きいだけだ。
何千年も雨が降り続いたり、マグマが地表を覆ったり
巨大な隕石が降ってきたりを繰り返しても
地球という惑星は平気な顔して今日も回っている。
人間ごときがレジ袋を減らしたぐらいで、
何かが変わると思っているなら
大きな勘違いだし、
変わるぞ、と発信している人たちは
実際に何も変わらないことがわかっていても、わかっていなくても
罪深いと思う。
登山家の栗城くんと一緒だ。
エベレスト南西壁単独無酸素登頂という
出来もしない、出来ないとわかりきった目標を打ち立て
その土台を美辞麗句で塗り固めて、滑落して死んだ。
煽った周りはもちろん、山に入った栗城くんもだいぶ罪深い。
達成出来ないとわかりきっている目標に向かうことは
何の意味があるのか。
やってます感が欲しいのか。
Sdgsで言えば
地球に良いことやってます感。
そんなわけでラジオリスナーなら誰でも知っていることだけど
クニヤマハセンという男が、自信たっぷりに
なにやら胡散臭いことを言っている。
来年も同じことを言っていたら、少しだけ評価する。