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香川照之がやらかしている。


多くの仕事を降板となって、役者生命の灯火が揺らいでいるようだ。


性加害がどうこうということだけど、


そこはあんまり興味がわかないです。



歌舞伎ファンとして成田屋贔屓としてこのニュースはやはり、


澤瀉屋(おもだかや)の面々のことが気になります。







というのもですね、香川照之という人は親が三代目市川猿之助。


初代市川猿之助というのは成田屋の九代目市川團十郎の門弟。


という繋がり。猿之助はまぁ、大きな名跡ではあります。



で、この三代目猿之助と実子の香川照之は幼い頃に絶縁してる。


絶縁の理由は調べるとすぐ出ます。


三代目猿之助は自分の門弟達を集めて育てて一門である澤瀉屋を引っ張ってきた。


門弟達も師匠の猿之助を慕って稽古に励んできた。



で、時は流れて。


2003年、猿之助は脳梗塞で倒れる。

2004年、香川に男の子が生まれる。



この子は三代目にとっては孫にあたる。


香川はどうやらこの子を歌舞伎役者にしたかったんでしょうね。


それだけでなく、


市川猿之助の名跡を自分の息子に襲名させようと考えた。


たしかこの子が8~10歳ぐらいの時、香川は行動に出る。


猿之助と和解して、息子と一緒に歌舞伎界入りをする。




よっぽど息子を歌舞伎役者にしたかったんでしょう。


それはまぁ、わかるっちゃわかる。


三代目と絶縁してなければ、自分は歌舞伎役者になっていただろうし、


猿之助もしくは、もうひとつの名跡である『段四郎』を襲名していたはず。


そういう親父との軋轢とか

家族への想いとかで

子供に継がせたいってのは、なんとなく想像できると思います。









ただですね、


歌舞伎ってのは大人になってから習い始めるんじゃ遅いんです。


歌舞伎役者の家に生まれた男の子たちは皆、


ほんとに小さい頃から稽古を重ねて、一人立ちしてゆく。



だから、香川が歌舞伎やるには遅すぎるし、


息子に始めさせるのもちょっと遅い。


実際、香川が市川中車として出演する舞台で、


舞台から離れた席で観ていて


(ひとり素人みたいな声だす奴が混じってるな)


と思ったら市川中車だった、みたいなことがよくあります。


香川照之は現代劇では超一流の役者だと思うけど、


市川中車は歌舞伎まったく出来ないわけです。






ただ単に子供のため、子供に継がせるだけであれば、


親子で歌舞伎界入りしても、



(僕には歌舞伎なんて無理ですが、息子のために一応形だけやるんです)


みたいなスタンスで、おもだかや一門の末席に畏まって


息子の後見になっていればよかった。






ところが香川は親父と和解後、


三代目を囲いこんで自分と息子と三代目の事務所を設立。


澤瀉屋のトップになろうとした。


権力を握ろうとしたわけですね。


これはですね、門弟達はおもしろくないです。


ろくに歌舞伎の演技もできない奴が横入りしてきただけでなく、


猿之助の後継者みたいなのを連れてきて、


三法師を抱き抱えた秀吉のように振る舞ったわけです。




このへんの香川の言動。


門弟達の目には、

自分達を、師弟の絆を、

歌舞伎を、猿之助を

無視あるいは軽視するように映ったのではないか。





実際、一門からは古参の役者たちがゴソッと脱退していきました。


たぶん


(なんで俺たちが香川の下につかなきゃいかんのよ)


という気持ちからだと思います。







そんなわけで香川やらかしのニュース。


旧門弟達は、ニヤニヤしながら見てるのかなー


なんて、ニヤニヤしながら思うのでした。



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