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朝起きてから寝るまでに


(めんどくせえな)


と思うことが八万回ぐらいある。



朝御飯を食べることもめんどくさいし、


仕事もめんどくさければ、


花の水やり・トイレ・ゴミ捨て・戸締まり・挨拶。


全てめんどくさい。


やらなきゃならないので、やるだけだ。




めんどくせえと同じくらい思うのが


(うるせえよ)


である。





小言・要求・批判などがこれにあたる。



うるせえよに関しては少しルールが違い、


上の句「うるせえよ」に対して


下の句が「俺の勝手だろ」というあたりだ。


セットで使うことが多い。


僕は会社とか組織に所属していないので


この「うるせえよ、俺の勝手だろ」がよく出てくる。






生きていると大小様々な小言・要求・批判が


寄せては返す波のように訪れるが


これらには大抵「うるせえよ」、「俺の勝手だろ」と


返すことにしている。


心のなかで。


本音と建前の用法を誤ると、人間社会で生きていけないからだ。


あいつは付き合いづらい奴だと思われたら、


自分の田んぼに水を引いてもらえないのが日本。






ただ、最近気づいたことがあって。


小言というのは、相手の口からこぼれる価値観の押し付け。


要求も自分が(聞いてあげたい)と思う相手からだけ聞けばよい。


そして、批判を生まない行動を取り続けることなんて無理。


全ての人に好かれようなんて無理。


そう思うと「うるせえよ、俺の勝手だろ」は


わりと言っちゃって良い言葉でもあるのだ。








ウチにはテレビが無いんだけど、買う予定はない。


たまに(主にサウナ室設置の)テレビを見たときに思うのが


小言・要求・批判に対する過剰なまでの防御姿勢。


言いたいことを言えてない人達しかテレビには出てこないと感じる。


僕はそういうもの、別に見たくない。


だからテレビの必要性を感じない。






僕の目に写るテレビの世界というのは


複雑なのか単純なのか


スポンサー・テレビ局・視聴者・芸能事務所などに


媚びへつらった内容しか流れていない。


言いたいことを言っちゃえよ、と思うのだ。




その点、ネットは良い。


匿名性がそうさせるのか、皆正直だ。




ハロウィンで盛り上がる韓国で、多くの人が死んだ。


有名人を発見した群衆が狭い路地に殺到。


身動きが取れなくなって圧死。


ということらしい。


たぶんテレビのニュース番組ではキャスターが深刻な表情で


「原因の究明を待ちましょう」


とか言ってるだろう。


そう言うしかないのかもしれない。


コメンテーターを名乗る人々も、


当たり障りの無いコメントに終始しているだろう







ネット民の反応の中に


「バカじゃないのか」


というものがあった。


絶対にテレビには流れない意見だ。でも、僕もそう思う。



バカじゃないのか。





有名人を見つけて路地に詰まって死ぬ。




映画で空腹のゾンビが、人間を見つけたときにやる行動じゃないか。


ハロウィンで死者の仮装していたなら


思いっきり『ウォーキング・デッド』じゃないか。


ネットに流れてくる現場の映像を見て


こいつらに知能はあるのかと不思議に思う。







このニュースを見て同じように考えるひとは少なからずいると思う。


でも少なくともテレビで発言する人はいない。


批判されるから。


そんなの気にしなくて良いのに。






テレビ業界は視聴率が下がって大変だと聞く。


批判に晒されても


「うるせえよ、俺の勝手だろ」


と発言する人が出てきたら、テレビを見るかもしれない。




団体も個人も、炎上する度に謝りすぎではないかと思う。


訂正と撤回を繰り返している。


そんなに批判というのは怖いものだろうか。


批判されても


私は、こう思っています!


みたいな意見がきちんと飛び交う世の中であってほしい。

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